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礼拝説教

7月3日 礼拝説教

訓読:「原理本体論教育、絶対性教育とは何か」
 神様をはっきりと知るということです。創造原理の核心は生殖器、凹凸です。お父様は「これを語るのに、40年かかった」と言われます。その生殖器の主人は相対者ですが、究極的には神様なのです。一番貴重なものが、生殖器です。

題目:「神様と真の御父母様に侍る人生」
昨日香港から帰ってきました。この教会は私が居たときに契約した教会でした。懐かしい教会です。
今年の3月に心臓の関係で手術しました。入院すると夜9時には電気が消され、寝なければなりませんでした。最初は昔の事が回想されなかなか寝る事ができませんでしたが、そのうちなれてきました。そのうち病院に入院してよかったと感じるようになりました。それは人生をリセットする事が必要だと感じました。8日間全く動く事ができない状態を通して、人生を見直し、何のために教会に来たのかを考えさせれました。どうして私が生まれたのか。私には動機がないということがはっきりわかります。私の命の原点には私にはありません。親にもありません。それは神様に聞くしかありません。人生というものが偶然に始まったとしたら寂しい事ですね。20世紀は無神論の時代ですが、最近は少しずつ変わってきました。宇宙の根源に神様がいるという理論を立証しようとする科学者の動きが活発になってきています。あまりにも宇宙がうまくできているのです。人間はどんな暑いところ、寒いところに居ても、喉を通ると必ず27度になるようになっています。このような空調設備を作る事は不可能なのです。本当に良くできているのです。
聖書を見ると神様が天地創造したとあります。イスラエル民族の歴史約2000年の中でよかった時代といえば120年ぐらいしかありませんでした。それでも彼らは神様が愛を動機として宇宙を創造されたと言います。その象徴的な部分がヨブ記ですね。神様とサタンが一緒の場所にいるのです。サタンはヨブが神様から栄光栄華を受けているので、信仰的であると訴えました。そこで、神様はヨブに試練を与えました。試練に耐えるヨブに対して妻は、神を呪って死になさいといいましたね。ヨブは悩みましたが、最終的に自分自身が神様から来ている事を悟り、信仰的に飛躍し、サタンを去りました。そして神様はヨブを祝福し、再び栄華を与えました。イスラエル民族はわずかな期間しか良い時期がなかったのに、なぜ信仰を貫いたかわかってくると思います。
それではイエス様はどうでしょうか。聖書を見ても幸せな時期を見出すことができません。当時は医術がなかったので、病気は宗教行事に頼っていました。ですからイエス様は病人を治す奇跡をされていました。なぜイエス様は十字架で処刑されたのでしょうか。十字架の刑は長時間の苦しみを味わうので、いかなる英雄であっても弱音を吐くようになるのです。仏教では悪い死に方をする人の人生は悪い人生だといいます。イエス様の人生はどうだったでしょうか。
歴史を振り返ると、なぜこのような人生を送るのか。どうして信仰を捨てなかったのでしょうかと考えさせられます。宗教の歴史を見ると、ちょっとした見解の違いで、多くの人が犠牲となってきました。
1958年、ニコライという人が啓示を受け、来日しましたが、当時は伝道ができる情勢ではありませんでした。キリスト教に対する迫害が強かったので、日本の文化を学ぶ事しかできませんでした。しかし彼はその後、237の教会を立てました。ニコライ聖堂をご存知でしょう。しかし、ニコライの人生をみて幸せだったといえるでしょうか。宣教師の人生とは決して幸せとはいえないかもしれません。
私たちの人生はどうでしょうか。似たようなものかもしれません。私も40年の信仰になります。良いことがあっただろうかと振り返ることがあります。息子に信仰を持っているのになぜ病気になったのかと言われました。あの世に行って良いことがあるのだろうかと考えましたが、考えてもわかりません。一般的にはいいところにいくと思っている人が多いかもしれませんが、自分の成長にとって良いところということかもしれませんね。
それでは、お父様の人生はどうだったでしょうか。お父様は、第一のお母様と聖進様を捨てて平壌に突然いかれました。当時、弟子たちはお父様が独身だと思っていました。突然、第一のお母様が現れて、弟子たちは大変驚いたのです。お父様は第一のお母様を顧みることができない状況でした。
そして今、ヨブのような苦しみを味わっているといってもよいでしょう。みてみると苦労ばかりの道のりだったと思えます。しかし、お父様は振り返ってみるとそこには愛があったと語られています。これは、苦難を乗り越えてこられたので、言える言葉だといえます。イエス様は十字架の道を行かれたので、弟子たちも十字架の道を行きました。もしお父様の道が悲しみの道だとしたら、統一教会は悲しみの宗教となってしまいます。だからお父様は悲しみを見せられないのです。栄光の父母の道を行かれるのです。
1971年に、お父様が生殖器に関する話をしました。その時私たちは笑いました。宗教ではあまり触れない話なのです。四大聖人も生殖器の話には触れていないのです。神様の創造の最終目的が生殖器なのです。この生殖器の問題を教祖として曖昧にしていたら、将来大変なことになるのです。だから今話をするのだと語られました。
お父様がお話しされる内容には白と黒の両面があります。その間のグレーの部分は私たち自身が判断しなければなりません。私は最近、信仰生活というよりは信仰人生ということで考えることがよくあります。お父様に従っていく信仰とは本当に大変だと感じます。目的がひとつでもバランスを取りながら行かなければなりません。今週1週間、そのような心情で歩んで参りましょう。