ホーム 教会紹介 地域紹介 活動紹介 お知らせ お問い合わせ 全国の教会

礼拝説教

7月31日 礼拝説教

訓読:天聖経「地上生活と霊界」
 信仰生活においては、我々が不平を言ってはいけません。一度答えてみなさい。不平を言える内容が、ここで発見できるか、できないか? なぜ? 「ああ、たまらない。もどかしくてたまらない。これが何か? と言って不平が言えますか? 喜ばなければなりません。涙を流しながらも「ウハハ」と言って行かなければならないのです。涙を流しながら、笑って行くべきなのです。今、分かりましたか、分かりませんか?
 分かったらしますか、しませんか? このように教えてあげた次にしなければ、それをどうするか? しなければ、できません。神様もできません。先生もできないのです。
 それゆえ、皆さんが天国に行き、地獄に行くのは、皆さんが決定するのです。レバレンド・ムーンが決定するのではなく、神様が決定するのではなく、自分が決定するのです。皆さんが決定するのです。不平を言えば地獄であり、不平を言わないで感謝していけば、不平を言うところを感謝していけば、天国なのです、感謝していけば。
 天国は、誰かが教えてあげて行くようになっていません。良心的に生きる人は、自動的に行くようになっている所が天国です。ご覧なさい。太陽の光が上がってくれば、すべての木の芽は、太陽に向かうでしょう? そうでしょう? 微々たる草木までも、自ら方向性を発見して回るからには、まして万物の霊長である人間が、自分の行くべき道を知らないはずがないのです。このような現象が起こるのです。

題目:「感謝」
 感謝という言葉は宗教ではよく使いますね。特に統一教会では特別であり重要な言葉であるといえます。昔韓国に腹中教という宗教があったことをご存じだと思いますが、その教団は再臨のメシヤを迎える喜びで踊り続けたそうです。ですから腹中教で一番重要なことは「感謝」という言葉でした。
 宋総会長が全国を巡回されながら、すでに死んでいてもおかしくないような人が、集会に来ていると言われます。それなのになぜ感謝できないことがあるでしょうか。そのように生かされていると言うことがわかれば、どのような境遇に置かれたとしても、感謝できないと言うことはありません。
 私が信仰を持ち始めたとき、「今この場で死んだとしても感謝だ」という境地に至ったことがありました。そのときから人を恨んだりすることがなくなりました。怨讐を持ったまま霊界に行くと大変なことになるからです。腹中教のすべては、ただ感謝です。世界会長がされる統一原理精誠敬拝も最後は感謝です。生きていること自体が感謝なのです。しかし心から感謝していかなければ意味がありませんね。
 教会に来て、困難や苦しみを感じるような表情をしている人がいますが、そのような人は本当の信仰者とはいえないと思います。どうしても感謝できないときは、もう一度原理講論を見直し、お父様と出会ったときのことを思い出すことが大切です。
 感謝の心で動くことのできる食口となってくださるよう願います。世田谷教会の食口が笑顔に満ちることを願います。再臨のメシヤと出会ったこと自体が感謝です。スウェーデンボルグは科学者ですが、霊界に目覚め、何度も霊界に行ってきました。その記録を地上に残したのです。いろいろな本を読むことによって、かえって原理の偉大さを知るでしょう。今週1週間、感謝の気持ちを持って出発いたしましょう。