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礼拝説教

10月16日 礼拝説教

訓読:聖書「コリント人への第1の手紙2:6〜10」
 しかしわたしたちは、円熟しているものの間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
 むしろ、私たちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、私たちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
 この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
 しかし、聖書に書いてあるとおり、 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
 そして、それを神は、御霊によって私たちに掲示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。

題目:「私は誰に逢ったのか」 執礼者:増田 勝先生
 私はみ言を長く話す事がよくありますが、いつも背後から押されるようにして話す事が多いのです。
 私は16歳のときにクリスチャンになろうと思って通信教育に応募して勉強しました。そして教会に行くようにという案内が来ました。その中に「聖書を多く知るより、より多くの愛を持って生活をするのがクリスチャンの本分です」とありました。それで、近くの教会を紹介してくれました。
 もらった案内を頼りに2時間近く歩いて教会を探しました。当時は下駄履きでした。十字架もなく小さな看板があるだけでした。草葺屋根の民家で礼拝が開かれていたのです。玄関先で椅子に座って待っていると若い婦人がバケツを取ってきて、私の足を洗ってくれたのです。本当にびっくりしました。その時、教会は聖書の知識で生活をするのではなくて、人との関わりの中で愛を学んでいくという事を実感したのです。
 そしてビリーグラハムの集会があるというので、そのまま参加する事になりました。興味半分で参加したのです。しかしその集会で、「今日クリスチャンになる人手を上げて下さい」といわれたとき、思わず私はハイと大きく手を上げていたのです。そして洗礼を受けたいといったのですが、だめでした。そしてそれから日曜日に朝五時に教会に行って掃除などをしました。そして2年後に洗礼を受ける事ができました。
 しかしだんだんとキリスト教に対する疑問などがわいてきました。そして西川先生と出会う事になるのです。聖書研究会の部長と西川先生が討論していました。その時私は、神様を科学的に知る事ができますかと聞きました。キリスト教ではそのような考えを持つ事はありません。そうすると西川先生は、外に出る事ができますかときかれました。伝道を邪魔されないためにそうしたのです。
 それから西川先生は私を絶対に離しませんでした。その当時の西川先生の姿はこじきのような姿でした。瞬間的に苦労されているんだなと感じました。そして、私も今まで食べた事のないAランチを差し上げたのです。その当時であった神様も、今出会う神様も全く変わっていないのです。時代が変わっても神様の愛は変わる事がないのです。しかし、食事を差し上げた理由は、別れのときぐらいは良いものを差し上げてさようならしようと思ったのですが、そのままここまで来たのです。あるとき、喫茶店に一緒に入ったのですが、西川先生がいきなり大声でお祈りを始めたのです。驚きましたが、同時になんとも頼もしいとも感じました。その喫茶店で、わら半紙に講義をしてくれたのですが、鉛筆がなく万年筆で書こうとしたのですが、あまりにも長くその万年筆を使っていなかったので、インクが乾ききっていたのです。それぐらい一人の人を伝道する、出会う事が大変だったのです。そして私が万年筆を貸しました。その時の西川先生の嬉しそうな顔を今でも忘れる事ができません。
 喫茶店を出て分かれるとき、今度教会に来てと名刺を渡されました。分かれるとき、西川先生は一度も振り返らずいきました。私は先生を見送りました。後からそのことを考えたのですが、西川先生はやる事はやった、後は神様が導いてくださいという決意だったと感じました。
 後日、名刺を便りに教会を探したのですが、なかなか見つかりませんでした。実は大きな教会をイメージしていたのです。しかし時計屋の2階でした。その教会に通っていた中で、今も残っているは私だけなのです。これが私の統一教会との出会いです。
 しかし、問題がありました。お父様よりイエス様のほうが好きだったのです。クリスチャンから来ている人は分かると思います。これは本当につらかったのです。当時、霊的にイエス様が何度も現れて助けてくれたのです。3年から5年ほどそのような状況が続きました。
 お父様が日本に来られたとき、私立ち会うより先に、留学中の下宿先立った三橋家に真っ先に行かれたのです。誰も韓国人を受け入れてくれない中で、受け入れてくれた方なのです。見た目には韓国の一青年を家族と隔たりなく受け入れてくれたのです。お父様にとって日本の中の故郷なのです。当時、日本の中にお父様の価値を何も分からない方が、お父様を受け入れた三橋さんという先輩がいたということは大変誇らしいのです。
 お父様は松涛本部がまだ木造立てのころに来られたのです。当時、日本は他の国の宣教国に比べれば成功国だったのです。お父様が皆に質問はないのといわれあした。中にはUFOはありますかと聞く食口もいました。ある女性がイエス様はどういうお方ですかと聞きました。私は本当に関心がありました。お父様は「あの男は可愛そうな男だった」と語られました。その時、私は大きな衝撃を受けました。その言葉の中には、イエス様の喜び苦しみを共にしてきた方だと思ったのです。お父様がイエス様の生まれ変わりだと感じました。
 今日訓読した聖句は、キリスト教では絶対に題材にしない部分です。イエス様は死ぬために着たのに、この聖句は理解ができないのです。私は、お父様からイエス様の事を聞いたとき、お父様の涙の落ちる音が聞こえたのです。実は、私はと打つ教会に来る前に60ぐらいの教会をまわりました。求道してきたのです。お父様との出会いは雷に打たれるような大きな衝撃だったのです。イエス様のご苦労を全部ご存知だと感じたのです。語り明かした間柄だと感じたのです。イエス様が復活されていると思いました。クリスチャンが復活したイエス様に出会う事は本当に難しいのです。
私が誰に逢ったか! イエス様のお兄さんに逢ったのです。
 ユダヤはイエス様を十字架につけて73年目で滅びました。共産主義は74年目で滅びました。お父様が日本に来られて72年目です。もう時間がありません。日本を本当に神の国にするのか。ユダヤと同じような道を行くのか。本当に恐ろしい事なのです。一日も早くお父様を日本に迎えて参りましょう。