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礼拝説教

10月14日 礼拝説教

訓読:「ルカによる福音書19章30節〜40節」
30)「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい。
31)もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、『主がお入り用なのです』と、そう言いなさい」。
32)そこで、つかわされた者たちが行って見ると、果して、言われたとおりであった。
33)彼らが、そのろばの子を解いていると、その持ち主たちが、「なぜろばの子を解くのか」と言ったので、
34)「主がお入り用なのです」と答えた。
35)そしてそれをイエスのところに引いてきて、その子ろばの上に自分たちの上着をかけてイエスをお乗せした。
36)そして進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。
37)いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、
38)「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ」。
39)ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。
40)答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。

題目:「あなたが私を世の中に証しすれば私も神様の前にあなたを証しするだろう!」
私たちは信仰という名のものとに、お父様が奇跡的に病院から復活される、棺の中から復活されるのではないかとも考えたかもしれません。クリスチャンがイメージする復活を、私たちも願い、待っていないでしょうか。原理で言う復活とは、人間が堕落を通して、霊的に死んだ状態から、神様の元に返るという過程なのです。もう一度復活の意味を考えてみなければならないと思います。まだお父様が私たちの目の前に実体で現れることを期待していないでしょうか。
復活の意味はサタンの主幹圏から神様の方向に復帰される過程を言います。少しでも神様の方向に行けば、それは復活といえます。お父様が復活することではなく、私自身が復活することが大切なのです。2000年前もイエス様が実体で現れたのではなく、弟子たちが反省と悔い改めの中で復活し、伝道していったのです。そのようにして霊的にイエス様に出会っていきました。
私たちはこの瞬間から、メシヤであるお父様の前に申し訳ない思いで出発して参りましょう。聖和式は素晴らしいものでしたが、国や世界の次元のものではありませんでした。世界がお父様を万王の王として侍る次元にまで行っていません。復活とはまさに重生です。基元節はそのような基準で、霊界におられる真のお父様と地上におられる真のお母様に栄光を捧げていかなければなりません。
食口の中には、統一教会のことを悪く言う人たちに対して、ただ黙って時間がたつのを待っている人もいるかもしれません。しかし今日の聖句にあるように、私たちが黙っていれば石さえも叫ぶとあります。お父様は語られました。あなたたちが私を世の中に証せば、私も神様の前にあなたを証するだろうと。
今は自叙伝もあります。まだお父様を讒訴する人がいれば、それは大変なことだと言うことを教えなければなりません。基元節までに何をするべきか。天がくださった八代教材教本を相続すること、自叙伝430冊を配布すること、1人以上伝道すること。そのことが私たちの使命だと感じます。勝利して基元節を迎えましょう。
摂理はまだまだあります。全世界にみ言を伝えていかなければなりません。
そのような心情で、今週1週間頑張って参りましょう。