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礼拝説教

12月5日 礼拝説教

訓読 天聖経「礼節と儀式」
@信仰生活が子女教育になる
 聖日の礼拝時間の前に行って、準備する人が何人いるか考えてみてください。聖歌を全部歌って説教の時間になると、その時にぴったり合わせて入ってくるのです。そのような人たちをどうして「み旨に従っていく人たちだ」と言えるでしょうか。いくら弁解しても、公的な生活ができずに私的な生活をしているということなのです。そのような人たちには希望をかけ、期待する何の内容もないのです。ですから皆さんは、新しくみ旨の前に覚醒して、公的生活の徹底化、私的生活の模範化を決意していかなければなりません。
 祝福家庭は残らず礼拝時間の前に来て、礼拝に参加する大勢の生命に恩恵の雰囲気をつくってあげて、恩恵を及ぼさなければなりません。そして牧会者が壇に立つ前に心情的な基盤をつくって支えてあげるようになると、説教をするにおいて食口たちの切実な表情を眺めて刺激を受けることができるのです。そのような要因が多ければ多いほど教会は発展します。
 公式的な記念日や集会があれば、それを生命視して動かなければなりません。そうでない家庭は、祝福家庭として落第です。
 礼拝時間を迎えるために早朝から精誠を捧げ、その日を神様の前に捧げることを生活化するように、子女たちに教育しなければならないにもかかわらず、自分勝手に何でもしています。「み旨のための生活をする」と言いながらも、祈祷をするでもなく、精誠を捧げるでもなく、原理の勉強をするでもなく、伝道をするでもなく、何もしなくてよいのでしょうか。聖日の礼拝時間が10時30分ならば、その時間に合わせて参加するためには、9時30分とか10時には出発してこそ礼拝時間の前に到着できるのに、時間になってから家を出発して、礼拝中に入ってきてそっと座るというのです。そうなると必ず批判されます。いくら父母の立場で子女を教育したとしても、受け入れてもらえないのです。
 祝福家庭は、天に侍る生活で手本にならなければならず、献金、敬拝式、伝道などを生活化しなければなりません。聖日は、1週間を節約して計画しておき、食口たちが喜べる内容を与える日です。また聖日には、共に集まって準備しておいた食事を分けて食べ、各家庭が互いに自分の夫や妻を自慢しなければなりません。

題目 天一国食口の礼節
今日の訓読は私たちが天国人になるために必要なみ言です。やりたくない、嫌なこともあるかもしれませんが、自分を中心とした生活、すなわちサタン的な生活を脱ぐために教会に来ているのです。教会に来て正されるのです。皆さんの見えないところにサタンは存在します。正されることを喜ぶ事のできる自分とならなければなりません。今日礼拝に遅れてきた方はいますか?絶対に10分前には来なければなりません。ここには神様と御父母様がいらっしゃるところです。私たちは親のために心来ているのです。神様に報告し、神様を中心として出発するのです。自分では限界があるのです。その限界を超えるためには必ず親が必要です。そうすれば、神様が助けてくれるのです。神様は要らない、自分で全てできるという人がいますが、必ず限界が来るのです。特に家族の関係に限界が来るのです。苦労があったとしても、頂上に上ったときに全てが喜びに変わります。我々は自分を犠牲にして、為に生きるために苦労しています。大きな次元の為に歩んでいるので、結果がなかなか見えないことが多いのです。そのようなことに私たちは誇りを持っていくことが重要です。
祝福家庭は、磁石のように周りの人を引っ張っていけるようにならなければなりません。
祝福家庭は犠牲の伝統、愛の伝統を立てなければなりません。そのような心がけで、今週1週間を出発して参りましょう。