ホーム 教会紹介 地域紹介 活動紹介 お知らせ お問い合わせ 全国の教会

礼拝説教

5月29日 礼拝説教

訓読:天聖経「真の父母」
 今まで真なる父母が出てこなかったので、真なる子女が出てくることができませんでした。まだ地上に真なる人がいなかったために、真なる父母が出てこなかったのです。それで、統一教会では、真の父母を認め、その真の父母を発見して侍ろうというのです。真の父母の息子娘になろうというのです。
 その息子娘になれば、何をするか? 真の父母が持っているものを相続するのです。真の父母が持っている相続権は、天地、神様までです。神様までも相続しようというのです。天地に主人がいなければ、その天地は何の価値もありません。その天地の価値を百パーセント認めることができ、その価値を永遠に主張することができ、そうだと言える自分にならなければなりません。また、それを公認してあげることができる方に会わなければなりません。その方が神様です。それゆえ、真の父母の相続権を持たなければなりません。では、真の父母の相続権が何か? 天地だけでなく、神様まで相続されるのです。
 我々が行く道は、まだ終わっていません。皆さんは天の前に感謝することで、祝福を受けるでしょう。皆さんは、個人的に感謝すべきであるだけでなく、自分の氏族を代表して、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏を代表して、さらには三千万(韓国)民族を代表して、世界の人類を代表して祝福を受けたという、その価値を忘れてしまってはいけないのです。また、真の父母が地上で果たすべき責任を相続したということを知るべきなのです。
 祝福家庭たちは、なぜそれを相続しなければならないか? 祝福家庭たちが民族復帰の過程を経ていっているなら、真の父母は世界的な復帰の過程を経ていかなければならないのです。すなわち、一段階先に進まなければならないのです。しかし、民族復帰の勝利的基準が立てられなければ、真の父母は世界的な路程を行くことができないので、真の御父母様が世界的な路程を行かれるようにするため、民族復帰の責任を相続しなければならないのです。それで、皆さんは死ぬまで、この民族の恨が除かれるときまで、民族復帰の責任を背負っていかなければなりません。

題目:「勝利者の道」
 私たちが通っている統一教会は、現実的には日本では余り歓迎されていないかもしれませんが、国に公認されている宗教団体です。2000年前にローマでキリスト教は大きな迫害を受けていました。当時、ユダヤ教は国に認められていましたが、イエス様が現れてから、そのイエス様を中心とするユダヤ教に一派という存在でした。しかし、最初から迫害を受けたわけではなく、イエス様が新しいみ言、道を歩む過程で、徐々に迫害を受けるようになっていきました。ユダヤ教は日曜日は安息日で、何もしてはいけなかったのです。しかし、イエス様は安息日も活動をしたし、ユダヤ教では神様と人間の関係は主人と僕という関係でしたが、イエス様は父と子という関係を説かれ、神様を我が父と呼ばれました。このような内容はユダヤ教には受け入れがたいものでした。そして、イエス様が神様から生まれたのか、それとも人間から生まれたのかという議論になっていきました。
 聖書に書かれている内容は、ほとんどがイエス様ではなく、弟子達によるものです。手紙という形で書かれているものが多いのです。そういう観点から見れば、聖書はイエス様の弟子達の歴史を綴ったものとも言えます。それでは、私たちはどうでしょうか。私たちはこの道に来ましたが、いつでもやめることのできたのではないでしょうか。原理を通して歴史観、信仰管を学んできましたが、その過程で霊的な役事も体験してきました。それは自分だけが感じることのできる世界です。統一教会は日本では反対を受けている部分もありますが、正式に国が認可した宗教団体です。統一教会は人類歴史で初めて神様と人間の関係が親子の関係であり、地上天国を創ることを目指した宗教です。もっとも素晴らしい宗教と言えます。どれほど理想が高いでしょうか。そのような高い理想を自分のものとしていかなければなりません。
 しかし生活のことに追われる自分になっていることを気付かされることも多々あります。それが課題ですね。ご飯を食べるときも平和世界を創るためにご飯を食べているという意識で食べることと、ただ自分が元気になるためにご飯を食べると言うことでは大きな違いがあるのです。動機が大きく違うのです。自分の目的を達成するために天に捧げることと、天を動機として天に捧げることは大きな違いがあるのです。皆さん、今の教会に満足していますか。もっと素晴らしい教会を建設したいと願い続ければ、必ずその夢は叶います。日本の食口は苦労の基準を変えなければなりません。
 お父様は日本に来られることができるでしょうか。私は必ずお父様が勝利者として日本に来られると確信しています。お父様をお迎えする日が必ず来るという確信を持って歩むことが大切です。私たちはお父様をお迎えするとき、申し訳ないという思い出迎えるのか、それとも私が勝利者となってお父様をお迎えするのかが問題です。
 キリスト教は国教になるのに400年を要しました。私たちも国の基準を超えていくのです。今、韓国では統一教会の見方が変わってきています。社会に認められてきているのです。食口一人一人が変わって、世田谷の食口で良かったと思えるようになっていけるよう願います。